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オフコース・小田和正の音楽と建築のアナロジー

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前回(オフコース・小田和正ー音楽と建築と思想ー)は小田和正(以下 小田さん)の大学・大学院の卒業設計などをもとに、小田さんの建築観について書きました。そのブログに小田さんの音楽と建築設計手法についての記事を書くと宣言しておきながら数ヶ月・・・なかなかうまく書けなかったのですが、とりあえずまとめてみました。※ブログにアップ時は2回に分割して投稿していましたが、ひとつにまとめています。

今回は、構築的・建築的であると言われるオフコース・小田さんの音楽と建築との関連性について考えてみます。初めて小田さんが作曲をしたのは1973年の「僕の贈りもの」(と小田さんも言っています・・・)なので、小田さんが人生の中で何もないところから創作活動をしたのは建築設計だったのではないかと思います。僕自身もそうだったのですが、建築設計や何かしらの創作活動をすると、それを論理的に考えて、いかに表現するかということの仕組みがわかるようになるのです。そう考えると、建築設計をしていた時の思考プロセスが小田さんの音楽にもきっと表れているはずです。今回はそれについて書いてみようと思います。

1980年前後、当時の中高生はそのほとんどが洋楽に傾倒していて、日本の音楽を聞くなんてちょっと恥ずかしいという感覚でした。実は僕もほとんど洋楽しか聞いていませんでした。でもオフコースはちょっと違っていたのです。アルバム・曲・アレンジ・ライブなど、それらの完成度の高さは当時の日本の音楽界では特異な存在でした。そんなオフコース(小田和正)の当時のドキュメンタリー番組をもとに、その音楽(アルバムの制作・ライブ)と建築(設計・監理・現場)とのアナロジーを探っていこうと思います。最初に、「音楽」と「建築」とのアナロジーの定義付を僕なりにしておこうと思います。建築は大きく設計・監理(現場)に分けられます。設計とは設計図面と模型やパース(CG・モデリング)の制作であり、その建築の全体像を表現するものです。これらは音楽では、楽譜が設計図に、レコーディングを含めたアルバムは模型やパースなど机上でのモデリングに該当します。それをもとにライブが行われる。それは建築の施工にあたり、現場(ライブ)を監理しながら施工(ライブを演奏する)していると言えます。アルバムはひとつの完成形ですが、音楽はライブで再現されてこそ、一過性の表現としての意味があります。恒久的ではないけれどもライブでは、確かに「音楽」という「建築」が建ち上がるのです。

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今回オフコース(小田和正)の音楽を探るために参考にするドキュメンタリーは、1982年1月3日にNHK教育テレビで放映された「若い広場 オフコースの世界」(「Off Course 1981.Aug.16~Oct.30 若い広場 オフコースの世界:EMIミュージック・ジャパン」で現在も見られます)という番組です。当時「ザ・ベストテン」など民放含めて様々な音楽番組あれど、決して出演することのなかったオフコースがテレビに出る、しかもドキュメンタリーでNHK教育テレビ。オフコースのTV初出演番組がNHK教育テレビというのは、小田さんが東北大学(早稲田大学大学院)・鈴木さんが東京工業大学という高学歴かつ真面目なイメージにあっている気がして、妙に納得したものでした。そのドキュメンタリーは1981年12月1日に発売されたアルバム「over」のレコーディングの密着取材でした。このアルバムは前作の「We are」と続けて読むと「We are over」すなわち5人の「オフコースが終わる」というラストアルバムのレコーディングでした。(その後5人のオリジナルアルバムとしては「I LOVE YOU」「NEXT(サウンドトラック)」がありますが、本当の意味で5人全員でレコーディングしたのは「over」が最後です。)今は技術の発達によって、PC上でサンプリングした音を利用して作曲・レコーディングすることが可能です。現在の小田さんの作曲の仕方はこの番組当時とは違っているかもしれません。でも、根本的な思考の仕方は変わっていないのではないかと思います。※結局5人のオフコースはこれがラストアルバムでしたが、その後鈴木さんを除いた4人で活動し、89年に解散します。

さて、このドキュメンタリーでのレコーディング風景は「We are」武道館のライブ映像後、小田和正(ヴォーカル・キーボード)・鈴木康博(以下 鈴木さん:ヴォーカル・ギター)・松尾一彦(以下 松尾さん:ヴォーカル・ギター・ハーモニカ)・清水仁(以下 清水さん:ベース・コーラス)・大間ジロー(以下 大間さん:ドラムス)の5人が集まったスタジオでの夏の日から始まります。

音楽でも建築でも作品全体に通底するコンセプトを明確にしておくことは重要です。なぜなら制作過程で迷いが生じた時にそのコンセプトに照らし合わせて進みべき方向性を修正していくからです。オフコースのメンバーも、前アルバムの「We are」の時点ですでに解散が決まっていたことから、「over」ではオフコースというバンドをいかに終わらせるか、その着地点とアルバムのコンセプトについてはかなり話し合っていたのではないかと思います。ただ、このドキュメンタリーでは解散ということは伏せられていたので、そのミーティングについては語られていない。よって、本当の意味でのアルバムコンセプトについてはこのドキュメンタリーからは見えてきません。

建築の設計を始める時に、何を手がかり(または制約・条件)にするのか?クライアントの要望はもちろんですが、それと同様に重要なのは敷地です。その場所(及びその環境)や面積や形状によって建築は大きな制約を受けます。その制約・条件は同時に大きなデザインのヒントにもなっていきます。音楽でアルバムを作る時、何が敷地に該当するのでしょうか?そのひとつめは”レコードLP盤一枚に録音できる時間”です。その時間(面積)の中にどんなコンセプトで曲数と曲の長さ(ヴォリューム)を配置していくのかということです。それを踏まえた上で誰が何曲担当するのかを決めています。このアルバムでは最終的に小田さん5曲、鈴木さん2曲、松尾さん1曲という割り振りでした。小田さんの曲数が多いのは、この当時のオフコースの商業的な意図があったのでしょう。それはさておき、このヴォリューム感をはっきりさせておかないと片面約20分、両面約40分の配分がうまくいきません。今ではアルバムの中から気に入った曲だけを購入するということが当たり前になっていますが、当時はレコードなので針を落とすと少なくともA面またはB面は連続して聞く場合が多い。そのために曲順など全体の構成はアルバム全体を通してコンセプチャルである必要性があったのです。番組の中でもアレンジしていく中で、リズムやテンポについて、アルバム全体の位置付けから最終決定するというような発言も見られます。アルバムに通底するイメージ・メッセージ・構成を要視していたことが伺えます。建築設計でもその敷地の持っている特性(法規・環境・要望)を確認しながら、空間のヴォリュームを検討します。これを間違えると最後までうまくいきません。僕はこのヴォリュームを検討している時に全体をまとめ上げるコンセプトも同時に考えています。ふたつめの制約・条件は、”ライブでアルバムを再現しなくてはならない”ということです。当時のオフコースはアルバム制作・コンサートツアーの繰り返しでした。アルバムの音をライブで再現する(しかもできる限り5人のみで)、その前提での曲構成及びアレンジが条件となっていました。オフコースのアルバムはアンビルトな建築ではなく、ライブ(現場)で演奏可能(施工可能)なものとなっていたのです。

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黒川浩之-Kurokawa Hiroyuki-
株式会社FAR EAST 代表取締役
一級建築士
1968年生まれ 東京都出身
横浜国立大学大学院修了

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