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「ニュータウン」の凋落と「オールドタウン」のこれからー千葉県四街道市の「ニュータウン」を巡る小さな考察ー(1)

  1. urban

ブログを始めてから、都市についても何かしら言及しようと思っていたのですが、なかなか何から語るべきかを迷っていました。今、日本では東京などの都市部への人口集中、それによる地方の過疎化・高齢化、空き家問題、都市防災、また都市問題だけではなく第一次産業人口の減少による産業構造の変化による様々な問題など取り組むべき課題が山積しています。これら様々な問題の中で、僕にとって身近な問題である「ニュータウン」についてまずは取り組もうと思います。

はじめに

「ニュータウン」文字通り訳せば、「新しい町」という意味です。これはイギリスのE・ハワードが19世紀後半から20世紀初頭に提唱した「田園都市」という考え方を体現したもので、人口集中した都市中心部の環境悪化を改善するために、都市周辺部に近接職住の緑に溢れた町を創造しようというものです。(詳細はハワードの「明日の田園都市」に書かれています。) ヨーロッパでは、職住併せ持った新たな町という位置付けでしたが、日本では東京や大阪を中心とした職場に通う為のベッドタウンという意味合いで開発が進みました。現在、この「ニュータウン」はリタイアした老人を中心とした町に変貌し、新たな入居者が入ってこない。「ニュータウン」は「オールドタウン」になっているのが現状です。

田園に出現した「ニュータウン」

僕が生まれたのは、東京都練馬区の石神井公園でした。(公園で生まれた訳ではありません。)ここは戦前からの住宅地で、区画割は比較的大きい(約100坪くらいが多かったようです。)にも関わらず、近隣との付き合いも多く、住みやすい環境でした。古くは石神井城を中心に近郊農民が住んでいた地域が鉄道の敷設とともに町としての体裁が整っていったと思われます。道路は江戸時代の街道から横道が伸びていき、一部を除いて計画性があまり感じられません。しかし、それらの道は一見無計画のようですが、そこに住もうとする人々の実用性に合わせた広がり方だったのかもしれません。(fig.1)

fig.1 石神井公園

 

そんな自然に発展した(と思われる)町から幼稚園の年長時に千葉県印旛郡四街道町(今の四街道市)の「旭ヶ丘第1グリーンタウン(現在の名称は旭ヶ丘団地)」に家族で引っ越しました。民間の藤田観光が50haの土地を地主から購入、計画戸数2150戸・計画人口8600人を設定して台地を切り開き、開発した住宅団地でした。田園風景の中に唐突に現れる規則的な団地は、上空から見るとちょっと不思議な光景です。周辺道路は古くから地形に合わせた農道や生活道路ですが、それらの有機的な作られ方とは異なり、団地の中心に大きな中心道路が走り、道路の左右に展開する街区へのアプローチ道路が一定の間隔で整然と並ぶというモダニズムの合理主義が体現されています。だいたい同年代の核家族が土地を買い、夢のマイホームが次々と建てられました。中心道路には個人商店が立ち並び、日常生活が成り立つだけの機能は持ち合わせていました。通勤・通学には最寄である四街道駅までバスで約十分かかりますが、僕が中学生の頃には本数も多く、駅に行くのにそんなに苦労はしませんでした。(fig2)

fig.2 旭ヶ丘団地

「ニュータウン」から「オールドタウン」へ、そしてこれから

僕はここに高校卒業(1980年代半ば頃)まで住んでいました。小学生の頃は団地の周辺に広がる田んぼや川や雑木林で都心とは違った環境を謳歌しました。幼少期を過ごすには素晴らしい環境でした。それから30年以上過ぎ、そこは「ニュータウン」から「オールドタウン」へと変貌しました。中心道路にあった商店はほとんどなくなり、育った子供たちは団地から出てゆき、残ったのはその親たち。その親も高齢化が進み、一人住まいも多い。空き家が増え、あれだけ子供の声が響いていた団地はひっそりと静まりかえっています。バスの本数も減り、日用品を買うにも駅近くのイトーヨーカドーまで行かなくてはならない。日常生活に支障があるのは明らかです。

本来の「ニュータウン」は職住近接を掲げていました。そこでは持続的に生活するという視点、新たな入居者にとっても魅力的であり、新陳代謝が自然と起こることを目論んでいたはずです。しかし、日本における「ニュータウン」の決定的な問題は、東京や都市部に通勤するための「ベッドタウン」としての機能に特化してしまったことです。そこには入居者が継続的に入れ替わるための仕組みが欠落しています。そこが、今の「オールドタウン」を生んでいる大きな要因です。でも、今でもそこには人が住み続けています。僕の父もそのひとりです。80代半ばで、母が亡くなりひとり住まいになりましたが、そこに住み続けています。僕はこう思うのです。「ニュータウン」ではなく、「オールドタウン」で良いではないか。1ヶ月から2ヶ月に一度、僕は父を病院に連れていくために継続的にこの団地に帰っています。まずは少しずつではありますが、この団地の現況と問題点を再度明らかにします。そして机上の考察ではありますが、「オールドタウン」が「オールドタウン」として生き残っていくにはどうすればいいのか?たぶん日本のあちこちで起きている問題だと思います。難しいけれど、肩肘張らずに、それを考えていこうと思っています。

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※補足

百科事典マイペディアによると「ニュータウン」は”大都市の無秩序な拡大に対処し,職場と住宅を組み合わせて計画的に建設される衛星都市の一つ。第2次大戦後,まず英国でロンドンなど巨大な都市圏の整備の手段として建設され,北欧諸国つづいて西ドイツ,米国など各国に広まった。日本でも1960年代以降ニュータウンの建設が各所ですすんだ。しかし生活環境や交通手段の整備などの面で立ち遅れが目立ち,都市部に従属的な性格をもつ住宅専用地域という傾向が強い。”とされています。また朝日新聞掲載の「キーワード」では”高度経済成長期の1963年、都市部に集中する人口の受け皿となる住宅地を用意するため、新住宅市街地開発法が制定された。同法に基づき自治体などが郊外の丘陵地などを造成・供給したニュータウンは全国に46カ所。ただ、国が2013年度に調べると、同法に基づかずに民間などが開発した16ヘクタール以上、1千戸以上のいわゆる「ニュータウン」は約2千カ所あった。”と記載されています。

※fig1、fig2はgoogle MAPからのスクリーンショットを使用。

※参考文献・URL 学術論文ではないので、wikipediaも参考にしています。

後藤伸一 都市へのテクスト/ディスクールの地図 ポストグローバル化社会の都市と空間  建築資料研究所

・wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/田園都市

・wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/エベネザー・ハワード

・wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/千葉県のニュータウン一覧

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黒川浩之-Kurokawa Hiroyuki-
株式会社FAR EAST 代表取締役
一級建築士
1968年生まれ 東京都出身
横浜国立大学大学院修了

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