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オフコース・小田和正ー音楽と建築と思想ー

  1. architecture

次にBLOCK PLANとパースを見ていきましょう。白黒なので明確ではないですが、水彩で着色された広大な森に囲まれて様々な施設が集落のように配置されています。その中心にミュージックホールやおそらく美術館などが配置されているようです。建築の外周部は自然の森のように見えますが、中心にいくにしたがって人工的な中庭へ連続的に変化していく構成のようです。緑の密度もそれに伴い低くなっていきます。中心部の建築は小田さん自身が語っているように、前川國男・設計の京都会館を参考にしているようです。読み取れませんが、空中歩廊で各施設が繋がっているかもしれません。展示室(?)などの小さなヴォリュームとミュージックホールの大きなヴォリュームの対比がバランスよく配置されています。その周辺部にたぶん宿泊施設が配置されているようです。BLOCK PLANを見ていて面白いなと思ったのはメインのアプローチ空間から見える風景が小さな建築群だということです。大きな空間で迎えるのではなく、あえて小さなヴォリューム、人に近いスケールで構成している。小田さんの建築はそこを訪れる人のためにあるという意識が感じられます。パースは2枚だけですが、叙情的な水彩画です。映画の絵コンテのような、ある場面を切り取ったようなパースです。そこには、一人のARTISTがある決意を持ってこの「ART VILLAGE」のゲートかブリッジに向かう後ろ姿、また建築の小径で傘をさしたカップルが描かれています。このカップルの絵は「さよなら」の歌詞のようです。上手です。小田さんは水彩画が得意ですが、この頃から上手かったんですね。パースの全体的な雰囲気は静かです。静かに静かに時が流れている、そんな印象を受けます。そのパースにも詩のような言葉が書かれています。読み取れないのですが、”・・・こんな日本は住みにくい”と書いてあるように、やはり今(当時)の日本に対する危機感が書かれているようです。これらの言葉は叙情的なパースには不釣りあいな印象を受けますが、小田さんの気概を感じます。パースを良く眺めて見るとRC(鉄筋コンクリート)造ですが、タイル(もしくはレンガ)が張られているようです。前川國男のような型枠のあとが残った打ち放しではないでしょう。むしろアルヴァ・アールトのような感じかもしれません。形態はモダニズム建築です。BLOCK PLANとパース2枚しか情報がないので、これ以上は読み解けませんが、きっといくつかの施設が小径やブリッジなどによって様々に関連づけられて、ひとつの村、すなわち「ART VILLAGE」を形作っていたのだと思います。全体的に圧倒的な絵の力によって、建築の魅力が表現されています。学部生として優秀だったと思わせる力作です。でも、先生の講評は”建築は絵画ではない”という評価だったそうです。今ならあり得ない講評ですが・・・

大学卒業後は”建築雑誌に出ている記事は東京の大学の先生が多かったし、産学協同をやっている東京の大学に興味があった。それに私立のキャンパスライフはなんか楽しそうだなって不純な動機もあってさ”(※2)という理由で早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻(建築学)博士過程前期(修士過程)池原義郎研究室に進学しています。当時の東北大学とは違って、国際コンペに参加するなど刺激的な学生生活だったようです。実際にタンザニアの国会議事堂のコンペにも研究室で参加したそうです。その際のパースは小田さんが描いたそうです。コンペ案をいろいろ探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。ちなみにその時の最優秀は黒川紀章でした。(僕はよく黒川紀章と関係があるのですか?と聞かれますが、残念ながら関係ありません。)小田さんの大学院の時の修士設計が朝日新聞出版「早稲田理工byAERA」に掲載されていて、そのキャプションに”大学院修了時”とありますが、たぶん”大学卒業時”の間違いだと思います。掲載されている図面は「ART VILLAGE」のBLOCK PLANと全く同じに見えます。ということで、大学院の小田さんの建築については言及できません。小田さんの建築観を探るためにもうひとつ重要な資料があります。修士論文です。オフコースや小田さんのファンでは有名な話ですが、小田さんの修士論文のタイトルは「建築への訣別(ひとびと-建築-限界)」です。小田さんが建築の限界を論じたものですが、この修士論文も僕は読んでいません。修士論文の全文は読めなくても梗概が手に入ればその思想に触れられるのですが・・・。この修士論文発表会では、”「自分の発表中に勢い余って『この建物(51号館)だってポリシーがない』というようなことを言ってしまい、途端に、場がどよめいちゃったんだよ」当時、修士論文の審査をしていた主任教授は、まさに51号館を設計した安東勝男教授その人だった。安東教授は「建築が悪くて、音楽ならいいというのかい」と怒り、同席していた池原教授は困り顔で取りなそうとした。その場で論文を読んだ安東教授には、「なんだ、ちゃんと書いてあるじゃないか」と評価されたが、結局、タイトルを「私的建築観」と変えることで論文は受理された。”(※2)とあるようにかなりエキサイトしたようです。その場にいた学生たちはさぞ面白かったでしょうね。ということで大学院の小田さんの建築観にも言及できません。大学院は音楽活動が活発になりつつあり、休学もしたようです。修士論文の発表会当日の1975年12月22日の夜に、新宿ルイードのライブで「今日僕は建築とお別れしてきました。」と語ったそうです。

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黒川浩之-Kurokawa Hiroyuki-
株式会社FAR EAST 代表取締役
一級建築士
1968年生まれ 東京都出身
横浜国立大学大学院修了

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