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ベッドタウンとしての「ニュータウン」の凋落と「オールドタウン」のこれから−千葉県四街道市の「ニュータウン」を巡る小さな考察−(2)

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これから数回、旭ヶ丘団地の現在の姿を見ていこうと思います。

今回は四街道市及び旭ヶ丘団地の概要・歴史・人口統計資料、四街道駅から旭ヶ丘団地周辺と団地のメインストリートの現況を写真で見ていきましょう。

四街道市の概要・歴史


都心から40km圏内、千葉市に隣接し、東京駅からJR総武線快速で50分程度、昭和40年以降は都心のベッドタウンとして発展してきました。また新東京国際空港(成田国際空港)にも近く、航空会社や空港関係者も多く住んでいます。人口は平成30年12月1日現在で93,940人(40,786世帯)です。谷津と言われる丘陵地が侵食された地形で、台地とその下に広がる低地が入り組んだ地形であり、関東ロームが堆積した良好な地盤で構成されています。農業は前述の谷津を中心に梨・落花生・稲作がおこなわれています。かつては精工舎の工場が現イトーヨーカドーの位置にあり四街道の主要産業のひとつでした。現在は市内に株式会社千葉ヤクルト工場、ハウス食品株式会社 ソマテックセンターが大手の工場・開発研究所として存在しています。また大型商業施設は駅周辺にイトーヨーカドー・MEGAドン・キホーテが営業しています。市内には大学・短期大学、県立高校2校・私立高校2校、市立中学校5校、市立小学校12校があり、教育施設は充実しています。

主要交通はJR四街道駅・物井駅があり、市内の各地域に四街道駅から路線バスが運行しています。古代は下総国千葉郡物部と山梨という里・郷名で、中世に豪族の千葉氏の所領となり江戸時代には佐倉藩が治めていました。明治になると陸軍砲兵射的学校(後の陸軍野戦砲兵学校)が設立され、陸軍の町として発展しました。四街道という地名の由来は現在の四街道十字路に「北成田山道」「南千葉町道」「東東金道、馬渡道」「西東京、船橋道」という4つの街道が交わっていることからだそうです。

四街道市の人口の推移

次に年齢別の人口推移を見てみます。


全体的な人口は順調に右肩上がりの傾向です。特に昭和45年から55年の10年間で大きな飛躍が見られます。この間に「旭ヶ丘第1グリーンタウン(現旭ヶ丘団地)」(昭和43年)、「千代田団地」(昭和51年)、「みそらニュータウン」(昭和51年)の入居が開始されたことが大きく影響しています。その後も駅周辺の新たな住宅団地や再開発によるマンション建設などにより人口が増加していると考えられます。年齢別の増減を見てみると、全体的な人口増加と呼応するように、昭和45年から55年に大きな増加傾向がすべての年齢で見られます。しかし、昭和55年から平成2年の10年間で若年層が減少に転じています。これは僕もそうだったように、高校卒業後に進学や就職によって転出したということなのでしょう。その後の増減を見ると、60歳以上は確実に増加していますが、他の年齢は減少か横ばい状態です。昭和40年から50年代に入居した世帯の親はそのまま住み続け、比較的若い世代は転出もしくは入れ替わりが起きているのだと推測できます。平成29年の統計資料によると、全国の高齢化率(65歳以上)は27.7%であるのに対し、四街道市は28.1%と全国平均を上回っています。

旭ヶ丘団地の概要

昭和43年に入居を開始した「旭ヶ丘第1グリーンタウン(現旭ヶ丘団地)」は民間の藤田観光が50haの土地を地主から購入、計画戸数2150戸・計画人口8600人を設定して台地を切り開き、開発した住宅団地です。四街道駅の東、約2km、四街道駅からバスで約10分に位置しています。

旭ヶ丘団地の人口推移

平成20年から29年までの統計資料になりますが、人口は平成20年は4,244人、平成29年3,938人となっており、約7%の人口減少です。団地内を歩いているとそれなりに街区は埋まっているし、新築も見かけるのですが、全体的な人口は減少傾向です。自然減少(老齢による死亡)と転出が進んでいると思われます。それに伴い、空き家の増加も進んでいるのではないでしょうか。この傾向は同時期に入居が開始された「千代田団地」、隣接する「みそらニュータウン」でも見られ、それぞれ約12.5%、約5%の人口減少となっています。

旭ヶ丘団地の人口構成は平成24年の資料で少し古いものになりますが、60歳以上が47%を占め、かなりの高齢化が進んでいます。

では小学生はどうでしょうか?

僕は明治から続く旭小学校に通っていました。入学時は木造校舎・RC造の新校舎・プレハブ校舎が建ち並ぶマンモス校になっていました。小学校3年時(昭和52年)は1000人を越える児童が在校しており、昭和53年に旭ヶ丘団地に山梨小学校、昭和55年にみそらニュータウンにみそら小学校が開校、3校に分割されました。僕は旭ヶ丘団地内に新設された山梨小学校でした。開校当時の全児童数は418人、最大児童数は僕が小学校6年時の489人です。その後は減少を続け、平成30年5月で全児童数128人になっています。今、団地内を歩いていても僕らの頃のように、子供たちが放課後に自転車で走り回っている姿はほとんど見かけません。

統計資料からも単純に、旭ヶ丘団地の全体的な人口減少・若年層の減少、それに対して当初入居の僕らの親世代がそのまま住み続け、顕著な高齢化が進んでいるのは明らかです。

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